建勲神社(天童市)

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建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、山形県天童市にある神社。旧社格は県社。
祭神は織田信長命で天童藩主織田氏の祖先として祀っている。

天童織田家は、織田信長の次男・信雄の子孫で、信雄の四男・信良を祖とする。子孫は上野国小幡藩から出羽国高畠藩と渡ったのち、天童に陣屋を移した。

当初は天童藩知藩事の織田信敏が東京の私邸内に「織田社」と称して祀っていたが、明治2年(1869年)11月8日に神祇官より「健織田社」(たけしおりたのやしろ)という神号が下賜された。
この健織田社を明治3年(1870年)9月13日に天童市の城山(現 舞鶴山)山頂へ分祀したのが、建勲神社の起源である。

同年(1870年)10月17日、健織田社は太政官の通知により「建勲社」へと改称し、太平洋戦争終結までこの名称は使われた。

明治17年(1884年)に現在地に遷座した。これは当初建てられた舞鶴山山頂の社への道のりが急で転落事故が起きるなど不便があったため、平坦な舞鶴山山腹に遷座したものである。

建勲神社を取り囲むアカマツの林は建勲神社社叢(けんくんじんじゃ・しゃそう)として天童市指定天然記念物になっている。

境内には
「はら中や物にもつかず啼く雲雀」
の芭蕉の句碑をはじめ四基の句碑が立っている。

郷土の水墨作家、故高島祥光画伯は、晩年に「ここの松林を描いてから死にたい」
と度々写生に訪れておられ、県内外から美術や茶道の愛好者が訪れているとのことである。

ポイント・ご利益

・祭神は織田信長命で天童藩主織田氏の祖先として祀っている
・建勲神社を取り囲むアカマツの林は天童市指定天然記念物になっている
・芭蕉の句碑をはじめ四基の句碑が立っている

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