松山城

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松山城(まつやまじょう)は、四国・愛媛県松山市にある城跡。別名金亀城(きんきじょう)勝山城(かつやまじょう)。
日本三大平山城にも数えられる。山頂の本壇にある天守(大天守)は、日本の12箇所に現存する天守の一つである。この中では、姫路城と同じく、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を渡り櫓(廊下)で結んだ連立式で、日本三大連立式平山城にも数えられる。
敷地一帯は国の史跡に指定されており、建造物21棟は国の重要文化財に指定されている。ミシュランの観光版(ギード・ベール)日本編では二つ星に選定された。

松山城の創設者は加藤嘉明。嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名です。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となります。そこで嘉明は同7年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築くため、普請奉行に足立重信を命じて地割を行い工事に着手し、翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされました。その後も工事は継続され、寛永4年(1627)になってようやく完成します。

昭和に入り小天守やその他の櫓が放火や戦災などのため焼失しましたが、昭和41年から全国にも例を見ない総木造による復元が進められました。

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